誰かの人生を生きない、ということ
※私が特定の相談者様のお話をすることはありません。私自身や、私が読んだり見かけたり聞いたり話したり、見聞きしたすべての方からの総合的なお話です※
私が「もうこの人から離れよう」と決意したとき、私は若くて未熟で、うまいやり方を知らなくて、たったひとり息子だけ連れて、警察に保護してもらってDVのシェルターに入りました。そのために住む家を失い、持ち物を失い、仕事を失い、友人を失い、お金を失い、「究極の選択」をするように「生きる」を選びました。私はその時今よりも15キロくらい痩せてしまっていて、息子を一人で育てる自信なんてなくて、ただただ、必死でした決断だったのですが、どうしてもっと早くに決断できなかったんだろう、と考えると、「誰かの言うことを一生懸命守っていた」からなんですよね。
「夫婦はよく話し合って理解し合わないとね」「子供の前でけんかをしたりするのは良くないこと」「男性は察するのが苦手なんだからこちらがわかりやすく伝えなきゃ」「価値観が違う2人が暮らすのだから我慢するのは当然」「結婚は忍耐」「電子レンジもない時代に、お風呂もない家で働きながら子供を育ててきた人もいるんだから」「夫はおだてて育てなきゃ」「両親に心配かけてはいけない」「仕事も子育ても全力投球」「お母さんはいつも笑顔で」「家族は仲良く」「子育てしやすい環境に住むのが大事」・・・・
ああもう、書きながら、誰の話? という感じでゾワゾワしてきます。けど、こんなような、どこかの誰かの考えをたくさんたくさん自分に言い聞かせていたんですよね。大切な「自分の気持ちや考えをもとに決める」ということがすっぽ抜けていたんです。それどころか、自分がどんな状態かにも気づけていなかったと思います。
何度も胃腸炎を起こして点滴をして、15キロもやせて、いつも体のどこかにあざがあって、自分のものを買うどころか、息子の下着一枚買うこともためらって、外食に行っても夫に「贅沢だな」と言われないように注文する、食事は夫が食べたい分食べられるように自分の食べる分を調整する、友人と会うことも遠慮して、こうしなきゃ、ああしなきゃ、と一生懸命で、「~したい」「~ほしい」と言えなくなっていました。
誰かの人生を生きるなんてしない、と今なら言葉にすることができます。誰かが言ったことに縛られるのではなく、自分はどう思うのか、どう感じているのかを大切にして、自分で決めて、自分らしく、自分が生きたいように生きたい。そのためなら私はがんばれる、と。
私はその後、紆余曲折を経て、仕事を持ち、息子を育てて、学び、歌い、自分らしく生きられるようになりました。私は無事、私を取り戻せました。
もし、この文章を読んで胸が痛くなった方がいたら、いつでも連絡してきてほしいです。あなたは一人ではないし、気持ちと考えを言葉にしながら整理して、自分らしさを取り戻すことが、自分の人生を生きることができるのです。
と、大学生で一人暮らしをしている息子から来たすっとぼけたLINEに大笑いして、今の幸せに感謝して、あの日からのことをなんとなく思い出して、書きたくなったブログでした。